
糖尿病をターゲットに
もともと医療界では、医師や自治体病院を管理する官僚の中には看護師や女性を軽視する意識が強かった。
しかし、Tは「看護師はいろいろな科で働く経験を持ち、各診療科を経験し、患者のことをよく知っており、経営に参画すれば必ず経営も医療の質もよくなる」と強調している。
日本とヨーロッパにおける患者、医師、看護師との関わり方は全く異なる。
西欧の病院は看護師の存在が先にあり、医師は後から病院に入り込んでいった。
フランス・パリにあるノートルダム寺院の近くに、ホテルがある。
これが病院の発シスター祥地だ。
ヨーロッパでは、病む人がホテルに集まり、看護師の世話を受けて暮らす。
そこに医師が治療に訪れてくるという形で始まった。
それに対して、日本では医師の病院や医師がいる施設に患者が集まってきて、その患者を医師が診察する。
そして、看護師は医師の「手助け」「医師に仕える者」として位置づけられる形で始まった。
この関係が今でも続き、たいていの病院では看護師は医師の下にある職種と考えられるようになったのである。
「医師の間では今も看護師を軽んじる気風が残っている。
複数の職種で患者を診るチーム医療が当たり前になる中、旧態依然の体質を改善するためにも看護師副院長はもっと増えるべきだと思います」。
Tが「看護師副院長」の誕生を求める背景には、Tが小児科医として看護師たちと過ごしてきた経験があったからだ。
Tは医師としての生涯を病院勤務医として過ごしてきた。
「開業する気も全くなかった」というTの将来像は市中病院の勤務医であった。
20代のときに2度にわたってアメリカ・オハイオ州R病院、デトロイト市M小児病院で臨床医として働いた後、郷里のK大学小児科医局から出張病院として、F日赤病院、Y日赤病院、O日赤病院、K市立病院、国立F中央病院などを経験。
最後の勤務地としてK市立病院で勤務した。
「ここで働いた24年間の悪戦苦闘の日々は忘れられない」。
1977年にTがK市立病院に勤務したとき、小児科医はたったの2人であった。
1年後に3名に増えたものの、「宿直」という名目で日々、夜の急患に対応していた。
1982年からは小児科独自で当直体制を組んだ。
Tは「概算すると、人生のうちの200日以上は病院で泊まっていた」と回想する。
医師の中でも病院という場所の本来の姿を知っている医師は、産科医、小児科医、救急医、ICU担当医である。
「夜の聞に患者と向き合っている医師だけが看護師の苦労を知っている」とTは言う。
というのも、患者の病状悪化は昼間より夜間の方が多く、また不安心理などによって患者がナースコールを鳴らすのも深夜が大半だからだ。
「夜中に起きていて働き続けるということが精神的にも、肉体的にもどんなに辛いことであるかということが、一般の人はもちろんのこと、昼間しか働かない病院の人間にさえ理解されていません」。
少ない小児科医の定員では苦しむ患者全員に常に目を配ることは難しい。
そんな中で、看護師には随分助けられたとTは振り返る。
Tは白血病をはじめとする小児悪性腫壌を専門にしていたため、当時の最新の化学療法のやり方や副作用の注意点などを事細かに説明していた。
次から次へと新しい技術や薬が出てきても看護師たちはTについていった。
「患者さんを助けたい」看護師たちを突き動かしたのは、この気持ちだ。
Tも「看護師たちのやる気がなかったら、毎年K県で発生する小児悪性腫蕩の60%を1年にわたってK市立病院で治療することはできなかったでしょう」と語る。
そもそも病院の職員のうち、約6割が看護師で医師は10%程度だ。
過半数にも満たない医師が病院経営を手掛け、過半数を超えている看護師の中から経営の中枢に携わる者がいないという現実に、Tはとても疑問を感じた。
「彼らの意見を尊重せずして患者本位の医療の提供など実現できるはずがない」。
こう考えたTはS県立病院の改革に当たっていた2004年に病院全てに看護師副院長を設置した。
そして、患者に関する権限を看護師副院長に与えた。
これによる効果はすぐに数字となって表われた。
一つ目に挙げられるのが病床稼働率の向上だ。
従来に比べ7%も上昇した病院もあったほどだ。
看護師副院長は病院の経営会議に出席することで、病院の経営状態が看護師全員に即座に浸透する。
看護師たちから見れば、自分たちの代表が経営陣、つまり企業の役員に入っているのだから、少しでもたくさんの患者を入れて、ローテーションさせることで繁盛させましょう、ということになる。
また、外科学会などで院内の外科医が数日出張して不在にしても、看護師のトップに患者に対する権限が与えられていれば、急患時でも外科の空きベッドを使用するなどして最大限の有効活用ができる。
2つ目に挙げられるのが看護師の士気高揚だ。
副院長は医師より上の立場になるから医師の部長が看護師の副院長の命令に従わなくてはならない。
看護師が副院長になることで医師を動かすごとができる。
現場に一番近い看護師だから患者の意思を尊重することができるようになったのである。
1990年から2年間、TはK市立高等看護学校の校長を務めた。
そのころの日本経済は景気が良く、若い女性に多くの職場が聞かれていた。
その一方で、看護師の仕事はいわゆる3Kと呼ばれて不人気であった。
看護学生たちからは「看護の道をやめて、他の進路に変えたい」という申し出が続出していたという。
Tは看護学生たちがいる下宿先に出向いたり、彼らの両親に会ったりして「この仕事は一生涯続けられる仕事であり、経験を積むほど上達していくもの。
国際的にも通用する仕事だから頑張りましょう」と説得して回った。
しかし、Tの説得も空しく任期中に4人が退学してしまった。
「病気の患者さんの力になってあげたいという気持ちを持って、看護の道を歩もうとする若い人たちに明るい将来を語ってあげられるようになりたい」。
病院側の仕切りやルールに縛られず、患者の命のために、看護師の裁量で自らが考えた方法を採用できるシステムを構築する。
こうしてTが進めてきたナース副院長は画期的なものであった。
ただこのシステムを活かすためには、看護師自身が士気高揚して「看護部長は当然、副院長になるべきだ」という意見を持つ必要がある。
Tは看護師の副院長登用こそが病院改革の切り札だと強調する。
「看護師は看護のプロであればよいのであり、病院管理や経営については誰かに任せておけばよい、という考えでは、決して「良い病院」にはなりません。
日本の病院は医師中心で動いてきました。
いま、その在り方に変革が求められています。
看護職に国民の期待がかけられていることを看護師一人ひとりが自覚しなければいけません」。
命を救って欲しいと願う患者に生涯、接してきたからこそ、医師や看護師には「人の命を救う」という断固たる決意が必要であることを、Tは身をもって知っている。
そして、改革に不可欠なものは個人の意識改革であるということもまた、身をもって経験してきたのだった。
剣道部を3年連続全国優勝に導いた父。
K・K、S・T、O・Tなど近代日本建設の中心的役割を果たした人物を輩出してきたところである。
この地に生まれ育った維新の英雄たちによって、長らく続いた封建時代に幕が下ろされた。
その同じKで医療の発展の障壁といっても過言ではない医療界の封建制度にTは立ち向かっていくのである。
K県の薩摩半島南西部に位置し、東シナ海に面する頴娃町がTの誕生の地である。
「篤姫」の生誕地、今和泉村や枕崎に隣接している。
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